広島市議会議員(安芸区)

こんなに無私な日本人がいたことに感動

 いい顔、ふやそう。沖宗正明です。


 久しぶりに小説を読んで涙が出ました。多感な青春時代以後久しく無かったことです。磯田道史作の「無私の日本人」です。磯田氏は2003年に「武士の家計簿加賀藩算用者」の幕末維新」で第2回新潮ドキュメント賞受賞しました。この作品は森田芳光監督によって映画化されました。松阪慶子の可愛さが印象的でした。


 「無私の日本人」には3人の人物が描かれています。最初の一人は仙台伊達藩の貧しい宿場町の商人である穀田屋十三郎です。寂れる一方の町を立て直すために数人の商人仲間を説得して千両を集め、それを財政難の伊達藩に貸し、そこから得られる利息を貧しい町民に配ります。これにより町は救われます。彼らにとって千両は途方もない金額です。先代から一文ずつ甕にためていた商人もいました。金を捻出した商人たちは、先祖代々の家業を潰す覚悟でした。自分の子供たちにも因果を含めます。当時の商人が藩の上層部に接触するのは気の遠くなるような高いハードルでした。数年の艱難辛苦を要して目標を達成します。しかし十三郎は子孫に自分の行いを善行と思ったり口外してはならぬとの家訓を残しました。実際に、作者がこの子孫を訪ねたとき、子孫はこの家訓を守っていました。この作品は先日、「殿、利息でござる」で映画化されました。


 余談ですが、江戸時代の日本の人口は3000万人、家数は600万軒でした。村は5万あり、庄屋が1人ずついます。その上に庄屋を束ねる大庄屋がいました。百姓のうちほぼ50人に一人が庄屋でした。全国には50万人の庄屋がいたことになります。武家が150万、庄屋が50万、それに神官や僧侶を加えた、全体の1わり足らずが読み書きができた層です。仙台藩では庄屋を「肝煎(きもいり)」と呼びました。それを束ねる大庄屋は「大肝煎」と呼ばれました。大肝煎の格式は非常に高く、雨傘をさすことができました。ほかの者は紙の合羽や蓑で我慢させられました。雨傘を指すことが特権とは驚きです。


 十三郎たちが大肝煎に対して、「○○様は、どちらのほうを向いて、お仕事をなさるおつもりか」、「少しは、民のことを考えてくださらぬか」と談判する場面には鬼気迫るものがありました。政治を司るものとして、改めて初心に帰ることの大切さを思い知らされた作品でした。それにしても、これだけの内容を描ける磯田道史に興味が尽きません。残りの2編は後日に書きます。 
 注文した本
1.60歳からの手ぶら人生  海竜社
  「島耕作」シリーズの弘兼憲史の人生観。
2.実践 快老生活  PHP研究所
  86歳になった渡部昇一の知的生活。
3.フランスはどう少子化を克服したか  新潮新書
  フランスの政策は正しかったのか?
4.外務省激震 ドキュメント機密費   読売新聞社会部著・中公新書 
  2001年に発覚した外務省機密費流用事件
5.地獄絵  新人物往来社
  地獄にもピンからキリまであるようです。
6.子供の貧困が日本を滅ぼす  文藝春秋
  子供向け財源を優先せよ